1st batch
2nd batch
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考案者:熊谷治巳
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この「フロンティアラガー」は「カルフォルニアコモン」というスタイルに属するビールで、ラガービールではありますが、エールビールのような特徴も備えた興味深い種類のビールです。 そもそもカルフォルニアコモンは「スティームビール」と呼ばれていましたが、現在は商標の関係で「カルフォルニアコモン」と呼ばれています。 それではカルフォルニアコモンビールの歴史を振り返ってみましょう。 「スティームビール」の歴史 冷蔵施設がないために、発酵中の温度が高くなりすぎないように底の浅いバット状の発酵容器に入れられ、2日から4日間発酵が行われました。 発酵が終わると、新鮮な酵母を混ぜて樽詰めされ、ビールは酒場へと送られました。 酒場では樽の中でまだ進行している発酵の働きを利用して、ビールに炭酸を与えました。 この「酒場で味の最終調整を行う」という方法は、現在でも英国の伝統的ビールの提供方法として存在しています。 樽の管理の状況はまちまちで、炭酸の圧力が高いと樽からビールを注ぐときに、蒸気機関のような「シュー」という音がしたようです。 一説ではこれが原因で「スティームビール」と呼ばれるようになったと言われています。 当時のイーストは発酵度が低く、現在生産されているカルフォルニアコモンビールに比べると、ずっと「甘口」であったようです。 この「スティームビール」の生産は、悪名高い禁酒法の施行まで行われました。 やがて禁酒法が廃止されましたが、主流のビールは「どこにでもあるような、水のように飲める」マスプロビールになり、スティームビールの生産を再開したのはアンカー社のみでした。 そのアンカー社も次第に経営不振になり閉鎖されることになりました。 ある時、いつもの飲み屋でアンカーのビール飲んでいたフリッツ・メイタッグという学生は、アンカー社が閉鎖されて自分の好きなビールがもう飲めなくなることを聞かされました。 彼はこの会社を再興することを決意し、苦労の末に高品質のビールを生産することに成功し、アンカー社は確固とした名声を得ました。 この成功が、現在に至るマイクロブリューエリィブームの一つの先駆けとなりました。 アンカー社は、もともとはビールのスタイル名であった「スティームビール」という名称を商標として登録し、その結果として他社は「スティームビール」という名称を使うことは出来なくなりました。 フロンティアラガー |