インディア・ペールエールの話
世界中にろくでもない物をばらまいた諸帝国による植民地支配も、ビールにはちょっとした貢献をしました。インドを植民地として支配していたイギリスには、スパイスやシルクなどを満載した船が着きました。一方、イギリスからインドに向かう船は空っぽでした。これに目を付けた男がいました。ロンドンのホジソンです。
当時、イギリスから運ばれるビールはあまり評判がよくありませんでした。ばい菌の餌食になる糖分がたっぷり残ったビールはインドに着くまでにダメになっていたのです。ホジソンは、糖分が少なくなるようにビールをよく発酵させ、思いっきり沢山ホップを入れました。ホップは保存料として大変有効な物なのです。これによってホジソンはインドのビール市場を独占しました。
しかしホジソンの独占は続きませんでした。ホジソンは名うての欲張りで、みんなの嫌われ者になりました。さらにビール醸造の町として有名だったバートン・オン・トレントが彼の市場を奪おうと狙っていたのです。それまでバートンの醸造所は従来の甘ったるいビールを造っていましたが、研究の末にホジソンのビールに負けない輸出用ビールを開発しました。そして、バートンはビールの大生産地となりました。
19世紀を通じて、この「インディア・ペールエール」は発展を続け、輸出だけでなく国内でもどんどん飲まれるようになりました。これがいわゆるイギリス風「ペールエール」の元になりました。同時に、その頃大量生産が始まって大衆の物になったガラス製のグラスはこのビールの売れ行きをのばしました。透明で淡色のビールはガラスの容器に入れると一段と栄えて見えたのです。
「ビター」、「ペールエール」、「インディア・ペールエール」
しばしば耳にするこの3つのビールの名称は、歴史的に複雑に絡み合い、はっきりと区別することが難しいようです。特に「ビター」と「ペールエール」は区別がかなり曖昧です。一方「インディア・ペールエール」はその名前からして、「強烈なホップと高アルコール度でインドへの長い航海に耐えられる様に造られたエール」というのが本来の意味と言えるでしょう。しかし、長い航海を必要としない国内向けの製品はすっかりホップの強烈さを失いました。さらにビール全体のアルコール度が、時代とともに弱くなるに従って、IPAのアルコール度も低下して行きました。現在、本国イギリスのIPAでアルコール度5パーセントを超えるようなものはほとんどありません。ホップの量も平均的な「ビター」程度の製品がIPAと言う名称で販売されていることがほとんどのようです。一方、アメリカではクラフトビールの発展によって、「歴史的意味を持つビール」としてのIPAは再び高アルコールでホップの効いたビールとして位置づけられるようになっているようです。それでも往年のIPAのような「とてつもなくホップが入って苦い」ビールにはお目にかかれないようです。
麦酒研究会のインディア・ペールエール(IPA)
麦酒研究会のインディア・ペールエールは19世紀当時の平均的なIPAに近いアルコール度を持っています。ホップの効いたビールを楽しんでいただくために、モルトの構成をシンプルにして、「麦酒研究会エクストラ・スペシャル・ビター(ESB)」よりもホップを効かせました。また1回の醸造ごとに違うホップを使い、ホップの違いを楽しんでいただけます。第1回はイギリスの南東部ドーバー海峡にほど近い地域で栽培される「イースト・ケント・ゴールディングズ」を使いました。エクストラ・スペシャル・ビター(ESB)に使用した「ファッグルズ」とともに英国のエール用ホップとして代表的なもので、スパイシーな味と香りが楽しめます。第2回はアメリカ北西部産の「センテニアル」を使用します。フローラルな香りが強く、アメリカンエールに使用されることで有名な「カスケード」を品種改良したホップです。2つのホップがどう違うかお楽しみ下さい。
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